アデュー1

昨日買った本、その1。
『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』 ジャック・デリダ 岩波書店

…かくのごとく私に帰着するものが、なおも決断でありえようか? たとえそれが迎え入れや歓待に関するものだとしても、純粋に自律的な運動は、この名を、「決断」という名を、与えられる権利を有するだろうか? 私から、私自身からしか生じず、私のものである主観性の可能事を繰り広げることしかしないような、そんな自律的な運動が、はたして「決断」の名を与えられる権利を有するだろうか? 自由だと言われるどんな決断においても生じるはずの、かの引き裂くような断絶もない、自我論的内在性の展開を、すなわちひとつの主体[主語]に固有な述語ないし可能事が自律的かつ機械的に繰り広げられることを、「決断」とみなすことなど許されないのではないだろうか?
(P.38)


始まりは、断固として他者からやってくる。私はあなたの全てを知らない…、ように、わたしの全てを知り得ない。。
主も客も、ひもで繋がれたボールのようなイメージでは成り立たないのだろう。私が主ボールを投げるだけでは。
そして、「答え」が外にあるということでもない…。「避難場所(アリバイ、逃げ場所)」ではなく残りゆくもの。結ばれの結び目として。品辞を結んだ文体として。


分からないことばかりで言葉が乱れる。。
イデアを乱して、でも、多分、明日には忘れてる。


その2。『セラフィタ』 オノレ・ド・バルザック 国書刊行会

まだ手つかず。。楽しみなので、後日感想を書きたい。



うーん、ブログ、これでいいのだろうか。。
日常の些事や呟きもアイデアもどれもしっくりこない。。
迷いつつ。でも今後はエントリー消さないようにしよう。

今日はこれにて。晩ご飯はカレー。