20090620

贖罪を読了。... 小説的体験の中にあまりに漬かりすぎて、まだうまく言葉にしづらい感じがしています。ダンケルク退却の悲惨な風景。戦時負傷者で埋まる病棟。罪。見知らぬ他者の体験でありながら、なにか生々しさを持って、途切れ途切れに”思い出す”状態で。
この分だと、解説的な、論理的な言葉は後々出てくることになりそう。それすらなく終わるかも知れないけれど。。概念や理論とは違って、小説には、やはり入り込んでしまう。物語(story)にとらわれることからは離れられない性なんだろうと思います。

教訓の必要などないのだ。ただひたすら、自分の精神と同じく生き生きとした個々の人間精神が、他人の精神もやはり生きているという命題と取り組みあうさまを示せばいいのだ。人間を不幸にするのは邪悪さや陰謀だけではなく、錯誤や誤解が不幸を生む場合もあり、そして何よりも、他人も自分と同じくリアルであるという単純な事実を理解しそこねるからこそ人間の不幸は生まれるのだ。人々の個々の精神に分け入り、それらが同等の価値を持っていることを示せるのは物語だけなのだ。物語が持つべき教訓はその点に尽きるのだ。
[贖罪(上), イアン・マキューアン, P.72 新潮文庫]

まだ、無邪気さや微笑ましさすら残る前半より。少女ブライオニーの思いに重ねられた記述は、小説が、現代的な皮肉性を抱える前の、幼さであり同時に根源でもあるような、その担うべき役割を明らかにしているように感じました。