20090818

『生きがいについて』をゆっくり読み始める。3人いる!が終わって喪失感を感じている今にしみてくる文章。
公演中の段々ヒートアップしていく自分をブログやらノートから拾い読みする。するか/しないか、きびしいなあ。でもそう思って、そうなのだから他に仕方がない。何かに懸けるということ。懸けた分だけが今ちゃんと失われていく。この感覚は久し振りな気がする。藤原新也の『メメント・モリ』にあった、眠りは死の練習である、という一文を思い出す。失いながら終えていくこと、これも何かの練習に比べられるのだろうか。失いながら、生の中にあっては、目覚めがある。今はただそれを思う。もちろん、それで、オーケー(と、強がりたい)。

いずれにしても、自分に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、そのなかから何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる。それは自己の心の世界をつくりかえ、価値体系を変革し、生存様式をまったく変えさせることさえある。ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自ら苦悩のなかから造り出しうるのである。知識や教養など、外から加えられたものとちがって、この内面からうまれたものこそいつまでもそのひとのものであって、何ものにも奪われることはない。
[生きがいについて, 神谷美恵子, みすず書房 P.139]