問い

かっこいち、現象を構造する成分として、可感的実態と想像的全体を取ったとき、両者の関係はどのように表せるか

 
かっこに、また、かっこいちの成分に加えて、残余的想像、または、想像的残余を考えたとき、それ(ら)は、どのように位置付けられるか

 
かっこさん、すべての想像、または、一つ一つの全体的想像は残余的想像といえるか

 
(そう、いいたいか)

 
かっこよん、









 
 は、










 
 か

 

 

memo

自然対数の底e の指数関数は、微分積分をおこなってもそれ自体(eのx乗)を保存する。微積分の操作で次数が変化しない。

分裂病についての、微分回路的認知の前景突出という指摘(中井久夫分裂病と人類」)、

微積分という関数の次数を変化させる操作と認識論の重なり合い。

・なおも。e の指数関数は微積時において次数を変化させない、ということ。その様なモデルはありうる。

20110520

ツイッターでドラマトゥルクの方々が挙げていた「ポストドラマ演劇」を借りて読み始める。いろいろな道具が理論で繋がれている印象。読んだ後はちゃんと忘れないと。。
「大津波原発」を読む。

20101226

・メモ
水戸芸術館にて、大友良英さんによる展覧会『アンサンブル2010-共振』を鑑賞。
普段は音を「再生」する装置、レコードが回るターンテーブル、音(楽)を奏でるギター、ピアノ、スピーカー、イヤホン、レコード、カセットテープ…、などが、「再生」という機能を担うことでその「再生」源の音の背後に追いやられているとしたら。
装置自体の配置ーそのものを浮き立たせる、たんなる「再生」装置でなく
音の表れ方、それとの関わり方
 *
お昼に黄門そばを食べる。あたたかいけんちん汁につけ。おいしい。
お店の雰囲気も古い木の机の表面など、雑然さと整えが微妙にあいまって温かかった。
(そして量の多さ!)
 **
大洗鹿島線で大洗へ。レンタサイクルで海岸まで。長い長い海岸線、波、松の林。
打ち寄せ返すさざ波に共振を思い出すけれど、それは、作品としての明確な輪郭を持つ閉じられた固まりでなく、開かれた、いつの間にか、そこにいられるような入り口が用意されている触感を伴っていた。

とることの前で

巨大で無音のフラッシュ、
仰ぐ程の印画紙を前に
 
白黒世界で発表される新しい技術
老いた体をよたつかせながら
相手、の頭を、所定の位置へと据える
 
いそいそと自分の体は
少し離れた床に置かれた台の上
(ミハイル)
目を閉じる
 
(、ミハイル)
 
巨大で無音のフラッシュ
 
仰ぐ程の印画紙、に
(、そのハサミでなく、言葉をとってくれ)
焼き付けられた口づけ
 
(おまえみたいな分のわるいやつはとくに)
 
巨大で無音の閃光
仰ぐ程の印画紙の前で