ここは、この世は言葉によって語れるものの時であり、その古里なのだ。とは言え、心の秘密を打明けてみるがよい。常にもまして事柄が、体験に掛かる事柄が、落ちて行くではないか。事柄を追いやりそれに取って代わるのは、表象を受けつけぬ、行為であるのだ。外殻を下から突きあげる行為であり、内で行動がひとり立ちに育って別の輪郭を取るやいなや、外殻はわれから粉粉に飛び散る。鎚(つち)と鎚との間にあって、われわれの心は存続する。同様に、舌は歯と歯の間にあってそれでも、それでもなお称讃しつづける者であるのだ。
ドウィノ・エレギー 第九歌(五連)、承前