引用

ここは、この世は言葉によって語れるものの時であり、その古里なのだ。とは言え、心の秘密を打明けてみるがよい。常にもまして事柄が、体験に掛かる事柄が、落ちて行くではないか。事柄を追いやりそれに取って代わるのは、表象を受けつけぬ、行為であるのだ…

それ故にわれわれは身を励まして、一度限りを果たそうとする。これをつましい素手の内に、さらに溢れんばかりの眼の内に、物言わぬ心の内に、保とうとする。一度限りに、成ろうとする。誰にこれを渡すのか。すべてを永遠に留めるのがいかにも望ましいところ…

そうではなくて、この世にあるということは多大のことであり、しかも、この世にあるものはすべて、どうやらわれわれを必要としているが故にだ。この消え行く定めのものが、奇妙にも、われわれに掛かる。もっともはかなく消えて行くこのわれわれに。すべての…

近づく亡失を性急に引き受けて、先取りの境地を幸いとする故ではないのだ。知れぬものをあながちに知ろうとする故でもなく、あるいは心の覚悟の為でもない。心なら月桂樹の内にも残るだろう。 ドゥイノ・エレギー 第九歌(二連)、承前

何故だ。もしも命の残りを月桂樹(ダフネー)のように、ほかの緑よりはいくらか暗く繁り、葉の端々を風の笑みのようにふるわせ、そのようにして過ごすこともなるものなら、何故、人として生きなくてはならないのか、そして運命を避けながら、運命を追い求め…

また引用の音楽…。アン、コニシキー♪

そして、あらゆる傾向のうちの最大のものに最大の限定が課されねばならない。それは死すべき者と不死の者どちらとも敵対する巨人主義(タイタニズム)である。巨人主義は、無限のもの、限定されえぬものを憧憬する。これは現在の心理学において無限の自己の…

フィッシュマンズ、UA が好きな友人が多かったけど、あまり自分から聞かなかった。。 今更だけど、いいですね。

chara で思い出した… 懐かしい、、、

量の重さに圧倒されるような精神は、もはや有効性という基準以外の基準をもっていないのだ。 [重力と恩寵, シモーヌ・ヴェイユ, "代数"より]

20090618

確かに空想なぞしてはいなかった。青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔のつき具合やらを一心に見ていたのだし、鮮やかに浮かび上がった文章をはっきり辿った。余計な事は何一つ考えなかったのである。どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応し…